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2016年ガボン大統領選の経緯

2016年ガボン大統領選の経緯

2016年8月のガボン渡航では、選挙をめぐる騒動に対する見通しが甘かったために、わざわざ混乱の渦中に飛び込み、結局予定を早めて帰国せざるをえなくなるという失態を犯したわけですが、それならせめてその経験を教訓にしようということで、以下に大統領選の概要と現場のようすをまとめたいと思います(記:9月12日)。

【概要】
大統領選は7年に一度で今回は8月27日が投票日であった。争っているのは、現職のアリ=ボンゴ (Ali Bongo)(57歳)と対立候補ジャン=ピン (Jean Ping)(73歳)。アリは、1967年から41年間大統領の座につき在任中の2009年に亡くなったオマール=ボンゴ (Omar Bongo) 前大統領の息子、南東部テケ族の出自。2期目を目指す。ジャン=ピンは、父が中国人、母がガボン人(海岸部のミエネ族)。もともとボンゴ一族に近しい立場で、前大統領の政権時代には大統領補佐官や外務大臣などの要職についていた。前大統領の長女と結婚していた経歴もある。2008年から2012年にはAU(アフリカ連合)の議長を務めたが、2012年に落選したあとはコンサル業に精を出す。2014年に与党ガボン民主党 (Partie Democratique Gabonais) を離党し、アリ政権との対立姿勢を強めていた。

公示時点では有力な対立候補が複数いて票が割れる予想もあって、各種メディアはだいたい現職有利の下馬評であった。ガボンでは地域・民族ごとの差異が大きく(40以上の民族がいる)、反対勢力がひとつにまとまることが困難であることから、結局はボンゴ政権をゆるがすことにはならないというのが主要な見方であった。2009年の大統領選でも、北部ファン族と南部プヌ族の候補者で票が割れ、かりに両者を合わせればアリを上回っていたが、結局アリが当選した。「国家の富の25%を独占する大泥棒」などと海外メディアや人権団体などに批判されながらも、50年間ボンゴ一族の長期独裁政権が続いてきたのである。

しかし今回、50年にわたって積もった不満が噴出した。直前になって野党側が結集し、ジャン=ピン支持でまとまった。原油価格下落による経済の低迷や、アリの出自に関する疑惑(前大統領とは血のつながりがないナイジェリア人で、出馬の資格がない?)もあり、ジャン=ピンが大きく支持を拡大した。投票後、優勢も伝えられるなかでジャン=ピンが公式発表をまたずに勝利宣言。一方のアリもゆずらず。両者が勝利宣言するという異常な状況のなか、予定より遅れて8月31日に公式結果の発表。アリが49.80%、ジャン=ピンが48.23%、約5000票という僅差でアリの勝利という結果であった。これに対して野党側が猛反発。とくに、投票率99.9%でそのうち95.5%がアリの票という、あまりに偏っていて僅差で勝つように操作しましたといわんばかりのオート=オグエ州の結果に疑義が呈された。ちなみにオート=オグエ (Haut-Ogooue) 州は、南東部でアリのおひざもとである。

8月31日の夕方から夜にかけ、野党支持者が大規模なデモをおこなった。一部で過激な行動にエスカレートし、国会に火が放たれたほか、国内紙、国営放送、ラジオ局、政府系スーパーなどが政府関連施設として襲撃の対象となった。商店では破壊や略奪行為もおこなわれた。政府側は治安部隊を展開して暴動を鎮圧し、ジャン=ピンの政治本部を攻撃して幹部ら27名を拘束した(翌日には解放される)。9月5日ころの発表では、死者あわせて7人、負傷者多数、逮捕者1100人。地方部では、北部オイェム (Oyem)、中部ランバレネ (Lambarene)、海岸部ポール=ジャンティ (Port-Gentil) などの都市でも小規模の暴動が起き、とくに野党支持者が多い北部で激しいようす。

ジャン=ピン陣営は、とくに疑惑のもたれるオート=オグエ州の投票結果についての再確認と投票所ごとの結果の報告を要求しており、フランス、アメリカ、EUなども結果の透明性を求めるという声明を出している。しかし政府側は、票の数え直しを拒否し、暴力にうったえるのではなく憲法にしたがって反意を示すべきであるなどと野党側を批判した。9月8日にジャン=ピン陣営は憲法裁判所に異議を申し立て、審理がはじまった(15日間で結果が出される)。

【現場の状況】
私は7月下旬にDRコンゴに行き、さまざまな調査地をまわって1ヶ月過ごしたあと、(最悪のタイミングとなる)8月31日の午前中のエチオピア航空でコンゴの首都キンシャサからガボンの首都リーブルヴィルに移動した。到着時点では、いつもよりだいぶ少ないが車も走っていて、多くの場所が通常営業しているようだった。常宿としているホテルにチェックインし、とりあえずスーパーで水や食料などを買う。スーパーではすでにバゲットが売り切れており、その向かいのパン屋にはバゲットを買い込む人たちで入口まで行列ができていた。

16時に結果の公式発表。私よりさらに悪いタイミングで、研究チームのメンバー2名が16時すぎにエールフランス便で空港に到着した。初渡航となる彼らを空港まで迎えに行くことになっていたが、ホテル入口は施錠されていて、従業員からは外出をやめるようアドバイスを受ける。ガボンの関係者に電話してみたが、やはりホテルに待機すべきということで外出を断念する。外をみると車はほとんど走っておらず、ヘリコプターの音や銃声らしきものが聞こえてくる。

欝々としながら待っていたが、メンバー2名は親切なフランス人に助けられて無事にホテルに到着。ホテルではインターネットは通じていたが、夕方からSNSだけが使えなくなった。ガボンのテレビ放送は能天気な音楽ビデオか昼ドラみたいなものしかやっていないので、France24のニュースで情報を収集。夜になってネットが完全に不通になる。その夜はホテルにこもって過ごす。

翌9月1日の朝、ニュースをみて予想をはるかに超える規模の騒乱だったと知り、戦慄を覚える。ホテル周辺の様子を見に行くと、キオスクが横倒しにされたり、ゴミ箱が派手に燃やされたりした跡があり、路上に燃えかすが散乱していた。ホテルのすぐ向かいの小さな商店が鉄格子を閉めた状態で営業していたので、水や缶詰、ビスケットなどを購入。鉄格子から腕を伸ばして商品を受け取る。すぐ周辺でも騒動があったことや商店などにも被害がおよんでいることがわかり、しばらくはホテルから出ないことにする。万一のため、空いたペットボトルに水をためたり、ヘッドランプやすぐ持ち出せる荷物を用意したりする。上空ではときおりヘリが通りすぎる音が聞こえる。電話は通じるので、ガボンの関係者や日本の研究チームメンバーと連絡をとりあう。この状態では調査地行きは困難と判断し、帰国することになる。

その後、9月1日(木)、2日(金)は大きな出来事はなく平穏に過ぎる。治安部隊によって反対勢力の民衆は完全に抑えられたということだろうか(実際に数日あとのニュースでは、逮捕拘束された人たちの消息が不明になっていて、家族らが彼らを探し求めて刑務所周辺に集まっているなどと報じられたり、実際の死者数は(その大半が反対勢力で)公式発表よりずっと多いという報道もあった)。3日(土)、4日(日)あたりになると、選挙に関する次の動きがあるまでのかりそめのものではあるが、すこしずつ日常の状態が戻ってきていた。連日トップニュースで報じられていたが、France24でも9月3日の午後にはG20やシリアの話題などが先になる。3日にはホテルの入口も施錠されなくなり、従業員や他の宿泊客との話でも外出はとくに問題なさそうな感じになった。ただし、初渡航の人もいるので、むやみにリスクを冒して外出するのはひかえ、ホテルにこもって過ごした。本当は調査地で食べるはずだったが、お湯を入れるだけの雑炊、味噌汁、ラーメンなどの保存食を食べる。

9月5日(月)の朝に、日本で手配してもらった帰国スケジュールの知らせを受ける(9月6日のエチオピア航空で出国)。SNSはつながらないままだが、この日の朝になってインターネットが復旧。午前中に騒動後はじめて外出し、近所の食堂で食事をとる。車もたくさん走っていて、人々も日常に近いようすにみえるが、ところどころに警官が立っていたり、警察や軍関係の車両がときどき走りすぎていったりもする。そのあとスーパーで、食料、ジュース、ビールなどを購入。タクシーで大使館を訪問する。日中はSNS以外のネットは使えていたが、18時に使えなくなった。夜は外出をひかえて部屋でビールと食事。9月6日(火)の午前中に空港に移動し、12:55のエチオピア航空便でガボン出国、アジスアベバ・香港を経由して、9月7日(水)の夜20:30に成田空港着。

【まとめ】
かれこれ14年もガボンに通っていながら今回のような事態を予測できず、結果として不必要に危険な状態に陥ってしまい、さまざまな手間や負担を生じさせてしまったことについては大いに反省している。あまりに長期政権がつづいてきたことで、ガボンの民衆もそうであるように、自分も「平和ボケ」していたようにも思う。選挙結果に対する異議申し立てや小規模な抗議行動などはありうると思っていたが、ここまでの規模の反発があるとは想定できなかった。それほどガボン民衆のあいだに現政権の不満がたまっており、いまこそノーをつきつけようという意思が強いことがわかる。

しかし一方で、戦乱が大規模かつ長期に拡大した近隣諸国の例と比べると、ガボンの民衆のバックには資金や武器を援助するような諸外国勢力がついていないこともあり、騒動はすぐに鎮圧された。今後、憲法裁判所の裁定(9月24日が期限)や最終結果の確定があって、そこで現職再選の結果がくつがえらなければふたたび混乱が予想されるが、やはり治安部隊が大規模かつ強硬に展開して制圧されることになるだろう。そうなればジャン=ピンやその側近はガボンにいられなくなり、国外に亡命することになる。一方で、地域・民族・力関係などに配慮した利権の配分などがおこなわれ(いわゆるgeopolitique)、「アメとムチ」のアメにあたる民衆の不満に対するガス抜きとして、2009年の選挙直後にも最低賃金の引き上げなどがあったように、優遇政策がおこなわれたりするのではないか。今回、独裁国家のやり方というものをまざまざと見た気がするが、勝手な予測としてはおそらくそのようなシナリオになる可能性が高いのではないかと考えている。

ただ、予測を大きく外れた大規模な反乱が起こったことをふまえれば、反対運動が簡単には鎮圧されずに全国に展開するような可能性もあるかもしれない。そうなると長期化が避けられない。また、諸外国やさまざまな国際機関が積極的に介入して票の数え直しがおこなわれ、さらに選挙結果がくつがえる可能性もなくはない。しかし、もし仮にそうなったとしてもアリが潔く敗北を認めるとは考えにくく、さらなる混乱が生じることになるかもしれない。負けた方が軍隊をもっているわけだから、こちらの展開の方が混乱が激化し、より深刻な状況になるかもしれない。

今回の騒動でもうひとつ思い知らされたのは、日本におけるアフリカ報道の少なさや人々の関心の低さである。フランスのニュースでは連日トップで報道され、世界でも一定の注目を集めるような大きな出来事であったが、日本語による報道はごくかぎられていたようで、多くの日本人にはまったく知られなかったのではないだろうか。もちろん、相手国との関係や距離的な近さによってニュースバリューが決まるわけなので、アフリカの小国のちょっとした騒動としかみなされないのもわかるのだが、それにしてもTICADの直後でありながら(そもそもTICADがどのくらい報道されたのか)、アフリカに対する関心は依然として高くなく、私としてもいろいろなかたちで積極的に情報を発信しなければならないと感じている(このブログもそのひとつ。また、インターネットジャーナル「シノドス」では、「等身大のアフリカ・最前線のアフリカ」 というアフリカ情報を配信するシリーズを企画している)。

私が知っているガボンは、自然が美しく人々が明るく人なつっこくて、のんびりしていて平和な国である。今後の展開が心配であるが、早く平穏な状態にもどってくれることを願ってやまない。

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